2018.09.12

今回の台風21号で思ったこと

今回の台風21号、京都伏見にある実家の屋根瓦が数枚飛んでしまいました。

ウチの実家って、今回の台風21号と似通ったコースを通った第二室戸台風でも、戦前の室戸台風でも屋根瓦が飛ぶことは無かったんです。
今回は飛んでしまいました。
周囲の家並みが変わってしまって、風の流路が以前とは異なっていたのかもしれませんが、それでも「今まで数十年も無事だったから今回も無事だろう」という考え方が通用しなくなったことを痛感しました。

で、今回言いたかったこと。
それは主に大阪市で見られた「トラック横転」です。
スマホで撮られたと思われる、トラックが横転する画像がテレビのニュースやワイドショーをにぎやかしました。
たいへんな画像でした。すさまじい強風が襲ったとわかりました。
と同時に、横転したトラックの数千倍にのぼる台数のトラックが無事だったこともわかりました。
そのほうが、その事実のほうが大切だと思います。
横転したトラックはお気の毒でしたが、そもそも横転すること自体が最初から避けられたのでないか?ということを考え直していただきたく思います。

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2018.08.26

2018年夏の震災遺構 その4「気仙沼向洋高校」

この夏訪れた震災遺構を紹介するその4は「気仙沼向洋高校」です。

不謹慎ではありますが、ここを選んだ理由というのが、当時の津波によるがれきが今もそのまま残されているという情報を得たからなのです。

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実際に行ってみました。
1枚目の画像のように、本当に津波で流されてきたのであろうメチャクチャに壊れたクルマが数台、がれきと共に校舎の間に挟まった状態で残されていました。
思わず息を飲みました。
というのも、これまたたいへん不謹慎な表現で申し訳ないのですが、それまでに訪れた三か所の震災遺構は、周囲が整地されたうえに、がれきが撤去されているので、あの震災直後の惨状と目の前の遺構が「信じられない」くらいリンクしなかったのです。
一方、こちらの高校は、このクルマ以外にも、校舎や建物が破壊された状態のまま、がれきともども残されていたので、津波の恐ろしい破壊力をまざまざと見せつけられて衝撃を覚えたのです。

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この2018年8月の段階においては、私はこの残存している校舎やがれき、クルマに近寄って見ることはできませんでした。
というのもこの校舎は震災遺構としての保存が決まり、2019年3月からの公開を目指して整備工事が行われているからなのです。

ここから離れるとき、妻であるみせすれじぇんど氏と
「そもそもこの高校って、なぜ駅や市街地から遠く離れた、通学には不便なところに建てられたのだろう?」
「本当だ!周囲には飲食店・文房具店はおろか人家ひとつ無さそうだし・・・」
なんて話していたのですが、実際は「あの日」までは周囲に人家も商店もあったのに、津波に根こそぎさらわれたのでは?という思いに到達したとき、本当におそろしい、やるせない気持ちになりました。

今回は被災者の方々からみて不謹慎な言葉が多くあったと思います。
申し訳ありません。

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今回は足を延ばそうと思えば、石巻の大川小学校跡にも行けたのですが、犠牲になった児童がかわいそうでかわいそうで・・・高ぶるものが大きすぎて行けませんでした。
いつか真正面から児童の冥福を祈る心構えができたときに必ず訪れてみたいと思います。

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2018.08.25

2018年夏の震災遺構その3 南三陸町防災対策庁舎

この夏訪れた震災遺構、その3は「南三陸町防災対策庁舎」です。

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この遺構は震災直後から様々な媒体により当日の状況および惨状が詳しく伝えられており、私自身も今回必ず訪れたい遺構として認識していました。
実際に来てみたところ、1枚目の画像のように遺構の周囲は土地のかさ上げと整地工事が進められており、この2018年8月の段階では遺構の近くに立ち入ることはできません。



遺構から少々離れた、同じ高さの土地に献花台が設けられていました。
お線香をあげさせていただきました。

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遺構を見下ろせる高さの土地に「南三陸さんさん商店街」があり、お盆休み明けの平日午前にもかかわらずそこそこの数のお客が訪れています。
その一方で同じ南三陸の復興商店街である「ハマーレ歌津」は、面していた国道が整地工事のため一時的に付け替えされたため、クルマで訪問するお客からは、つい見落としてしまう立地になってしまい集客難に陥ったそうです。

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それでこの遺構「防災対策庁舎」を見た感想なんですが・・・
やはり「信じられない」なんです。
その理由というのが
1、遺構の周囲の土地がかさ上げされて取り巻く様相が変わったこと
2、まとわりついていたがれきが撤去され、鉄骨の赤茶色い塗色が鮮明に浮き出て、何か新設された建物のように見えること
の2点につきます。

この遺構は恒久的保存が決定したようですから、整備された折には再び近くまで立ち入ることができるようになるでしょう。
その折に再訪したいと思います。

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2018.08.24

2018年夏の震災遺構その2 旧女川交番

この夏訪れた東日本大震災の震災遺構。

その2は「旧女川交番」です。

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あの日、女川町には高さ15メートルほどの津波が襲い、鉄筋コンクリート2階建ての女川交番は、この通り基礎部分が引きちぎられるように横倒しとなりました。

今回はクルマで現地に赴いたのですが、ネットで公開されている旧女川交番の所在地をカーナビにセットしてもうまくたどり着けません。
津波による破壊と、その後の復興事業による道路の付け替えで、被害の大きかったところは、もはやカーナビが無用の長物になってしまっています。
この旧女川交番も、なかなかたどりつけなかったあげく、ハマテラスにクルマを停めて地元の方に尋ねようと思ったところへ、そのハマテラスの道路はさんで海側に、コンクリート建造物がゴロンと寝転んでいるのを偶然見つけました。

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写真で見て想像していた旧女川交番に比べると、そのコンクリート建造物はより大きいので最初は違うのかな?と思ったのですが、案内看板があったのでようやく確信しました。

建物の周囲は草地となり、さらに外郭部を整地された道路や土地が取り囲んでいるので、被災前の交番周囲の市街地の状況、およびネットで見た被災直後の交番の状況が想像できません。
ここも旧野蒜駅と同様「信じられない」というのが率直な感想です。

2018年8月現在、この旧女川交番の建物には近づくことができません。
周囲はすべて整地中で、建物の周囲にはこれらの画像を撮った、かさ上げされた新設道路以外には道はありません。

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この旧女川交番は正式に震災遺構として横倒しのまま保存され、それを取り囲むようにメモリアルパークが2020年7月完成予定で設置されることになっています。
このような画像も歴史的経緯になりそうです。

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2018.08.23

2018年夏の震災遺構その1 旧野蒜駅

この夏、東日本大震災以来はじめて東北を訪れました。
「震災遺構」を、私自身の眼で見ると同時に、ウチの3姉妹つまり私の娘たちにも見せておきたかったのです。
私は阪神淡路大震災のときには埼玉県草加市在住で、東日本大震災のときには滋賀県草津市在住、つまりこのふたつの大震災には遭遇しませんでした。
なので東日本大震災の「震災遺構」が残っているうちに、それらを見てまわり、自分の自然災害に対する心構えへの戒めとすると同時に、あらためて被災された方々に深く哀悼の意を表したいと思ったのです。

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今夏は4か所の「震災遺構」を訪れました。
今回の記事は2018年8月の状況を歴史的経緯として残すものであって、今後は震災遺構として恒久的保存や整備されるにしたがい、大きく状況が変わることが予想されます。

あくまで「2018年8月の状況」として捉えていただきたいと思います。

その1は「仙石線旧野蒜駅」です。

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仙石線野蒜駅は東日本大震災の津波により大被害を受けました。
1996年に奥松島観光情報センターを併設したうえで新築された駅舎は、3枚目の画像のこいのぼりの上部に引かれているラインまで浸水。
仙石線は復旧に際して、線路が約500メートルほど内陸部に移設され、野蒜駅もその移設された線路上に移転することになり、2015年5月に復活営業再開されました。
残された旧駅舎は野蒜地域交流センターとファミリーマート東松島野蒜駅店となり、さらに2016年に「震災復興伝承館」となりました。
今回訪れたのは、この震災復興伝承館と、保存された旧野蒜駅プラットホームです。

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1枚目の画像は、その旧プラットホーム。
がれきが完全に撤去されたので、架線こそないものの今にも列車がやってきそうな様相です。
ただ2枚目の画像のように、ホーム上に遺された駅名板は津波の影響で曲がっており、さらに下り線の線路の一部が、どういう理屈のせいか山側にむかって大きく湾曲しています。
4枚目の画像は駅舎2階の震災復興伝承館のエントランスに飾られている、自動券売機等の駅備品。
特に券売機の破壊加減が相当なものです。

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駅周辺はがれきがすべて撤去され、整地が進み、(震災復興伝承館に飾られている写真にある)震災直後の惨状の面影はありません。
様々な意味で「信じられない」というのが率直な感想です。

なお震災復興伝承館の女性職員さんには、震災時の詳細な状況説明をしていただきました。
本当にありがとうございました。
東松島町の一日も早い完全復興を祈っております。

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2018.07.31

私が好きな京都ラーメン

最近あまり書かなくなったグルメ的話題です。
というか、このブログ記事の更新自体が頻度落ちてますが・・・(笑)

私が京都に行ったとき、食するラーメンはだいたい決まっています。
今回はそのうち3つを書いてみたいと思います。

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ひとつめは「第一旭
リンクさせていただいたサイトにもあるとおり、一口に「第一旭」といっても、「たかばし」って付いてたり、「本家」って付いてたりけっこう多くの店舗があります。
有名なのは京都駅から歩いて5分ほどのところにある、新福菜館と並んでいる店舗。
そもそも京都のラーメンは、「天下一品」でもっともポピュラーな「こってり系」ではありません。
この「第一旭」に代表される「鶏ガラ主体の醤油系」が本筋だと思っています。
「第一旭」は「新福菜館」と並んで、その京都ラーメンの本流と言えるのではないでしょうか?
画像は、その京都駅近くの店舗ではなく、亜流と言われた「第一旭六角店」のものです。

ふたつめは「珍遊

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いわゆる一条寺系の本格派です。
この「珍遊」は、本店と同じ正式な系列店が六角通り河原町西入ルや、我が地元大手筋等にあって、一条寺まで行かなくても食することができるのが利点。
ここも「第一旭」と同じく、あっさり鶏ガラ系のスープが特徴で、決してこってりではありません。

みっつめは「ラーメン藤

地下鉄烏丸線十条駅近くに本店があるのですが、京都よりも滋賀県内に多くの店舗があります。
ここは京都では珍しいかもしれない、鶏ガラを主体としていない深い醤油ラーメンです。

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古くから大手筋に店舗があったので、「第一旭」も「珍遊」も「天天有」も大手筋近辺に無かったころは本当によく言ってました。

今回言いたかったこと?
京都のラーメンは決してこってりスープ主流ではないということです。

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2018.06.30

どうなってる?柏の葉かけだし横丁

柏の葉キャンパス駅周辺の方なら、駅の高架下「TXアベニュー」から、T-SITEの方角にむかって、飲食店として使用する真新しい施設が高架下に作られているのをご存知だと思います。

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これ、「柏の葉かけだし横丁」と名付けられている飲食店街で、一時期はつくばエクスプレスの公式HPにもテナント募集告知がありました。
3坪~6坪の屋台風飲食店が19店並ぶ計画で、早ければ6月下旬から営業開始する店舗が出る予定でした。

ところがところが、その6月末になってもこの通りです。

営業している店舗はおろか、店名を表記する看板も白紙のままです。

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運営元はどう考えておられるのかわかりませんが、ワタシら一般住民からしたら、単に出店に応募した飲食店がゼロであるとしか思えません。

いずれにせよ、このままの状態が長く続くのは具合が悪く思えます。
この場所で飲食店をやるのは採算に合いませんと宣伝しているようなものです。

何が悪いのでしょう?
家賃や敷金の良し悪しもあるのでしょう(個人的には家賃の坪@約5万というのがちょっと?とは思います)けど、客観的に見て、運営者側にこの施設を飲食店テナントで埋める気概が感じられません。
こういう状態なのにテナント募集告知はFacebookのみだし、さらにこの画像でも判るように、募集告知ポスターが立ち入り禁止エリアに貼ってある・・・(謎)
見られへんやん・・・

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ポスターでは「6月下旬から随時オープン」となっている文章が、Facebookでは「7月下旬から随時オープン」に変わっていますので、運営者側の苦心は見えますが、ともかく7月20日から始まる柏の葉夏まつりの時点では複数のお店ができていることを期待したいですね。

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2018.05.13

ローズガーデン化計画10 つるバラ復活

11年ぶりに動き始めたウチの庭のローズガーデン化計画!
今日はつるバラの復活に動いてみました。

11年前、ウチの庭にアイスバーグとコレッタの2対のつるバラを植えました。
1枚目の画像は、このうちの敷石の右側に植えたコレッタです。

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今回帰ってきたとき、左側にあったアイスバーグは無くなっていましたが、コレッタは嬉しいことに健在でした。
ただ基本的にバラは明るいほうへ明るいほうへとシュートを伸ばすため、このコレッタはラティスに巻き付かずに庭の中空のほうにシュートを伸ばしていました。
そこでみせすれじぇんど氏、シュートの先端部分をラティスに誘導し、ヒモでゆるーく固定しました。
このコレッタも樹齢12年。
根本がかなり太く大きくなっていますから、もはや簡単にはラティスに絡んでくれません。
(2枚目の画像です)

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辛抱強くラティスに誘導するつもりです。
ただ画像のように、美しい花はたくさん咲かせてくれています。

そしてアイスバーグの跡地にあたる敷石の左側に新たなつるバラを植えようと、今日の朝早くからこれまた11年ぶりに京成バラ園に行ってきました。

みせすれじぇんど氏が新たに選んだつるバラは「ピエールドロンサール」でした。
11年前にも鉢植えで購入した品種です。
花色はコレッタもピエールドロンサールもちょっとかぶるような気が・・・まあいいか。
はたして来年はどういうふうにラティスに絡んでくるでしょうか?
そしてみせすれじぇんど氏のアフタヌーンティーはどうなるでしょうか?(笑)
3枚目の画像は、そのアイスバーグの跡に植えたピエールドロンサールです。

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2018.04.30

ローズガーデン化計画9 復活への道

このタイトルの記事を書くのは11年ぶりです。

ワタシの住居であるマンションは1階なので、わずか3坪ながら専用庭があります。
しかもはじめから高麗芝が植栽されていました。
そこでウチのみせすれじぇんど氏、この庭をローズガーデンにしようと、そうそうたるプランを立てました。
まず庭の中央のフェンス寄りにサークル状の敷石を並べます。
(これが1枚目の画像)

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次にフェンスに沿ってラティスを建てます。
さらにそのラティスにつるバラを巻き付かせます。
つるバラがモノになってきたら、敷石の上に金属製のアーチとベンチを置き、さらにそのアーチにもつるバラを誘導します。
アーチのつるバラが開花したら完成。バラの芳香に囲まれながらベンチでアフタヌーンティーを・・・という計画でした。
実際にはラティスに沿ってアイスバーグとコレッタを植えたところで、我々のほうが引越してしまい、この計画は半ばで終わってしまいました。

そして2017年10月、まずれじぇんどひとりが帰ってきた段階では
・芝生がダメージを受けている
・ラティスは一部を除いて健在!
・つるバラはコレッタが健在!
という姿でした。

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(これが2枚目の画像)

そしてみせすれじぇんど氏が加わった今、ローズガーデン化計画が復活しました。

まずは芝生の修復です。
冬枯れしていた高麗芝が復活するのを待っていましたが、極めて期待薄な状況に陥っていましたので、思い切って全面張替えを行ないました。
あえて高麗芝ではなく、ちょっと葉が細かい姫高麗芝を張ってみました。

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(3枚目の画像)
今回は冬芝のオーバーシードはやらないつもりです。
ただ今回の芝の張り方、これ悪い見本です(爆)
芝をレンガのように置くのが正当です。
どうなることやら・・・
次回はつるバラの復活ですね。

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2018.03.08

定点写真その29 広島駅南口

この定点写真シリーズは、ここ4回ほど柏の葉キャンパス駅前の画像に特化してましたので、今回は別の場所における駅前の変化を記事にしてみたいと思います。
1枚目の画像は、2014年3月14日の広島駅南口から東方、つまり新広島市民球場・カープロードのほうを見た画像です。

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画面奥のほうにある雑居ビルのさらに奥には、戦後復興時の広島の面影を伝える「愛友市場」がありました。
この画像を撮った当時は、駅南口再開発事業の最中でした。
「愛友市場」も2013年12月末をもって、ほぼ全店舗が立ち退いてしまい、画像奥の雑居ビル内の飲食店、パチンコ店もすでに営業は終了しており、ビル解体を待つのみという状況になっています。

で2枚目の画像は、同じアングルで2017年3月17日に撮った画像。

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画像正面奥の真新しいビルは、2017年2月10日にプレオープンした「エキシティ・ヒロシマ」です。
商業ビルとオフィスビルに高層マンションが付帯した、駅前再開発の象徴ともいうべき複合施設で、施設内には「愛友ウォーク」なる商業施設があり、かつて「愛友市場」内にあった商店のいくつかが復帰出店しています。

画面手前のタクシー待機場、よく見るとレーンに番号が付いていますね。

画面左側の駅ビル「アッセ」とその駐車場、それに隣接するフタバ図書のビルと看板には変化はありません。

一方で、画面右奥にわずかに見える、「千福」の看板を掲げているビル周辺のブロックは、いずれ再開発されることになっています。
さらに、その「千福」の看板下部分にある茶色い上屋は、ちょっとわかりにくいですが路面電車である広島電鉄の駅前乗り場なんですが、これも線路自体が駅前大橋を通る駅前通りに移設される予定ですので、いつかは撤去されます。
これはこれで、また一時的な風景ということになります。

最後に、知っておられる方には懐かしいと思われる、かつての「愛友市場」の大看板の画像を添えておきます。
2013年9月18日に撮影したものです。

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