今回の記事だけは、みなさま、しかるべき所にリンクを貼っていただけたら・・・と思っています。
これは私の母が昭和19年から20年にかけて体験した、ちょっと妙な話です。
当時尋常小学校五年生だった私の母の実家は、京都市伏見区の国鉄奈良線(現JR西日本奈良線)稲荷駅至近にありました。
戦局も終盤となった昭和19年頃、その奈良線に時々見慣れない列車が走り出しました。お客の乗っている列車ではあるのですが、車内から外が見えないよう、全ての窓に日よけが降ろされていました。
そんなある夜、その「見慣れない列車」が稲荷駅に停車しました。対向列車との行き違い(当時奈良線の稲荷駅前後は単線区間でした)のため停車したのですが、連結両数が長いため、後ろのほうの車両はホームをはみ出して、大和街道との踏切をふさぐ格好で停まっていました。
日よけが全て降ろされた奇妙な列車に興味津々だった母は、踏切のところまでやってきて、その列車を眺めていました。すると列車のひとつの窓が静かに開き、中から兵士がそーっと顔を出しました。母の姿を認めた兵士は、そのまま窓から踏切にいる母に、声をひそめて呼びかけました。
兵士「ねえ、キミ。何年生?」
母「五年生です」
兵士「そう。大きいね(注:母は成人時に身長166cmありました。この時代の女性としては大きいほうです。だから五年生にしては大きかったのでしょうね)」
母「・・・」
兵士「ねえ、ここはなんて駅だい?」
母「ここは稲荷という駅です。京都駅からひとつ手前の駅です。」
兵士「そう、京都の手前なんだ。それでキミにひとつお願いがあるんだ。このハガキを出してくれないかい?」
そう言うと兵士はハガキを取り出し、列車の窓から母のほうへ向かって投げました。母がそれを拾うと、小さな「頼んだよ」という声を残して窓が閉まってしまい、まもなく列車は京都駅方向へ走り出しました。
母はあわてて家に帰りました。何か悪いことをしてしまったような気がしたのか、妙に後ろめたい感情がわいたのか、ハガキのことを家人に何も言わず、そのまま自分の部屋に駆け込みました。
あらためてハガキを見直してみると、宛て先が書かれており、裏には、おそらく故郷の家族に宛てたと思われる文章が並んでいます。その文章の内容というのが、普通に兵舎から投函した場合には、間違いなく検閲に引っかかるものであることが小学五年生の母でも判ったのです。
そこで母は、そのハガキを封筒に入れ、ハガキに書かれていた宛名をそのまま写し書きして、自分のお小遣いで買った切手を貼り、ごく普通の小学生が書いた封書にして投函したのです。
驚いたことに、母はその後も昭和20年夏までに、同様のハガキの再送を2~3回行なったということです。
母はこの暑い時期にテレビで放映される戦争に関する特別番組を観るたびに、あのとき投函した複数のハガキが、果たして無事に宛て先(兵士の実家か故郷でしょうね)に届いたかどうかが気がかりだと言います。母は怪しまれないようにリターンアドレスの部分には自分の名前と住所を書いておいたというのですが、戦争中も戦後も今に至るまで、それらのハガキの宛て先からの問い合わせはありません。
昭和9年生まれの母は、すっかり老いてしまいました。もうあまり時間がありません。
それでみなさまにお願いです。
みなさまの身近に、昭和19年から20年にかけて、兵士が書いたハガキが内封された小学生の字で書かれた奇妙な封書を受け取られた方はおられないでしょうか?
もし手がかり等をご存知の方がおられましたら、右下のメールリンクからご連絡賜れば・・・と思います。
一応、いくつかのヒントになる事象だけ書かせていただきます。
・母の見た列車は間違いなく兵員輸送列車と思われます。行き先や経路を秘匿するため、窓に日よけがおろされていたものと推察します。
・母の見た列車はすべて京都方面行きでした。京都からは名古屋にも神戸にも舞鶴にも行けます。
・母の記憶では、それらの兵士の言葉は標準語に近いアクセントだったといいます。
62~3年前の出来事です。もしハガキ入り封書を直接受け取られた方が当時30歳であったとしても、もう90歳を超える御年になっておられることになります。あまりに古い出来事なので今になってお願いしても、手がかりをつかめることは非常に困難だとは思いますが、ネットでの連絡網が発達した今なら、ひょっとしたらハガキを受け取られた方のご子息やお孫さんが・・・と思ってお願いする次第です。
この記事、できるだけ広い範囲に告知願えたらと思います。よろしくお願い致します。
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